野村萬斎さん『敦-山月記・名人伝』-9/7

野村萬斎さんの『敦-山月記・名人伝』を観てきました。
場所は何度か行っている世田谷パブリックシアター…会員になっちゃおうかしらと、
ずーっと悩んでいるけど、未だに決心が…(笑)。

[原作] 中島敦    
[構成・演出] 野村萬斎    
[出演]
野村万作/野村万之介/野村萬斎/石田幸雄/深田博治/高野和憲/月崎晴夫
/亀井広忠(大鼓)/藤原道山(尺八)
公演後に音楽方として参加された亀井広忠さん、藤原道山さん、萬斎さんのポストトーク付き♪

中島敦の作品「山月記」と「名人伝」を、苦悩する敦自身を語り手として構成。
舞台は左右になだらかなスロープを描きながらおりてくる三日月をかたどった舞台。
この三日月舞台は正面に二つに別れる仕掛け。
手前はその三日月に抱かれるようにピアノのような鏡面の床になっていて、
あとは机状のものが床から迫り上がるだけのシンプルなもの。
舞台両端に音楽方の、右に尺八の藤原さん、左に大鼓の亀井さんが客席を背に座って、
舞台の進行にあわせて伴奏をつけたり、動物の鳴き声を演出するという形。

正面にはスクリーンに映し出された中島敦の顔写真。
最初はスクリーンに次々と中島敦の一生が映しだされていく。
舞台の上には敦の死体。そして生きている敦。
「敦たち」が次々と出てくる。
「敦」は萬斎さんのほか、3人の「敦たち」がコロスのように群読したり、
敦の苦悩、自尊心、自嘲などのさまざまな感情を分担することで、
複雑な心理劇を演出している。

前半「山月記」は、重厚な水墨画のような雰囲気。
虎になった李徴に野村万作さん。
狂気と正気の狭間で揺れ動く者の表現は、さすがに迫力ある。
狂言と違って、メイクとかつらの万作さんには驚いたけど、
虎になる瞬間の場面の『キャッツ』な万作さんにはもっとびっくり(笑)。
私自身がイメージする李徴は自尊心、虚栄心、功名心など人間の弱さに葛藤するあたり、
もう少し生臭いイメージなのだけど、
万作さんの枯れた李徴もまた、けっして昇華できない人間の無常を伝えているように思えた。

休憩を挟んでの後半は、弓の名人を目指した男の到達した境地を描く「名人伝」。
名人を目指す紀昌と中島敦を萬斎さんが演じ、
「山月記」とはうって変わって、狂言風のコミカルな演出。
「敦たち」がツッコミを入れたり、背後のスクリーン映像と組み合わせたり――
この映像が「日本語であそぼ」風に、鳥、蚤、霰、矢などを漢字で表現して、
たとえば、矢を射ると「矢」という文字が飛び、
空高く飛んでいる鳥という文字が落ちてくるというような演出――で、客席を大いに沸かせた。
映像以外にも早変わりや小道具、そして演奏までもが笑いを誘う軽快な仕上げ。

この芝居を構成するにあたって萬斎さんは
「山月記」中の
「人生は何事も為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」
の一文を中心にすえ、
為しとげられなかった「山月記」の李徴と、為しとげて名人になった紀昌とを対比させている。
さらに、語り手である中島敦の、若くして亡くなった人生とを重ねていくという手法で、
幻想的な仕様の現代劇と能や狂言の古典を無理なく融合しているように思えた。

芝居後のポストトークの中で、
「敦」を複数する手法は狂言の太郎冠者を参考にしたと説明され、
狂言の奥深さに「うーむ…」
ほとんど原作に忠実な台詞回しを単なる朗読にならないように「敦たち」を設定したのだそうだ。

あああー、ここまで書くのに2時間以上もかかってしまった…。
なんだか疲れたぞ。


どうやら台風も抜けたようだしってことで、
帰りに居酒屋さんに吸い込まれてしまったのはいつも通り(笑)。
でも一緒にいった人がアルコールを飲まないので、なんとなく早々にお開きに。
栗の焼酎「麻呂ん」なんて珍しいものを飲んでみたり、
妙な名前がついている料理を頼んだり、それなりに楽しんできたけど、
(珍しく?)優等生な夜遊びでした(笑)。
[PR]
by sumika_meimu | 2005-09-09 01:33 | おでかけ
<< 柔道の「なんで?」 台風14号はナービーさんだ >>